103系は国鉄通勤形電車の前車である101系を基に国鉄の当時の財政や設備・保守などを考慮したうえで再設計しなおされた
101系の決定版的な車両で、1963(昭和38)年から1984(昭和59)年までの21年間もの長い間製造され、合計で3447両も製造された
日本最高量数を誇った電車です。
地下鉄直通対応車、冷房設置車、ATC装備車など多彩なバリエーションがあった103系は、北は仙石線から西は筑肥線まで4扉通勤車の走行した
線区のほとんどで運行されましたが、車両の老朽化や加速性能、電力など経済的背景などもあり、首都圏からはE231系など
の新系列電車の置き換えで姿を消してしまい、JR東日本では仙石線の1編成を残すのみになり、京阪神地区でも321系など
の導入に伴って本数を減らしています。
しかし、2005(平成17)年4月25日に尼崎〜塚口間で発生した福知山線の脱線事故などでの関係でJR東日本からJR西日本へ8両が譲渡されたり、
JR東日本からインドネシア国鉄のジャボタベックへ数編成が譲渡されたりもしている。
またJR東日本の旅客運用から消滅したと言われた103系ですが、トイレ設置工事などを施し2007(平成18)年3月より1編成だけ仙石線で運行さ
れているほか、103系のトップナンバーである“クハ103−1”も2007(平成18)年3月より阪和線界隈で現役で走っていたりします。